この記事では、宇佐見りん氏の『推し、燃ゆ』を読んだ感想・あらすじについて解説します!
史上3番目の若さでの芥川賞受賞となった本作。
現代の若者の生きづらさや悩み・葛藤にフォーカスが当てられた『推し、燃ゆ』は、
読書ファンなら必ずチェックすべき作品です!
ぜひこの記事で興味を持って、本書に手を伸ばしてもらえれば嬉しいです。
作者 宇佐見りん氏について
『推し、燃ゆ』の作者であり小説家の宇佐見りん氏は、
1999年に静岡県で生まれ、神奈川県で育ちました。
2019年、当時20歳だった宇佐見さんは小説『かか』を出版しデビューを果たします。
その翌年、デビュー作にしてなんと第33回三島由紀夫賞を最年少で受賞しました。
そしてその翌年2021年に、
本書『推し、燃ゆ』で第164回芥川賞を受賞しました。
芥川賞の最年少受賞者とは?
そんな宇佐見りん氏ですが、
なんと芥川賞受賞の際、当時21歳で大学2年生だったそう!
これは史上3番目の若さです。
と思い、歴代の芥川賞作家を調べてみたところ、
史上最年少で芥川賞受賞作家となったのは当時19歳だった綿谷りさ氏で、
それに次ぐ第2位が金原ひとみ氏で当時20歳でした!
お二人の作品はどちらもベストセラーを記録しており、
さらに2004年の同時受賞だったこともあり多くの人が注目していました。
綿谷りささんのデビュー作『蹴りたい背中』↓
金原ひとみさんのデビュー作『蛇にピアス』↓
ちなみに金原ひとみさんの受賞作『蛇にピアス』は、
女優の吉高由里子さんが主演となって映画化されており非常に有名です!
『蛇にピアス』は、今ならAmazon Prime Videoで無料配信となっているので、
ぜひ無料期間を使って観てみてください!
『推し、燃ゆ』を執筆した理由
本書『推し、燃ゆ』はタイトルの通り、
"推し"
が一つのテーマとなっている作品です。
宇佐見さんは受賞後のインタビューで、
このような本を執筆した背景として
「推すことに対する世間からの冷たい目」
があると仰っています。
もちろん、自分の好きなアイドルや有名人を応援することは、
ある種ファン活動の一種として捉えられており、
趣味であったり恋愛の下位互換などと思われることがあります。
しかし中には「推すこと」自体が生活の一部となっており、ある種の生きがいになっているという人が少なからず居るという現状があります。
しかし、それが世間から十分に理解されていない現状や
それによって生きづらさを感じている人の人生や葛藤を表現したかった、
というのがモチベーションの一つとなっていました。
私自身は、そこまで本気で推し活をしたことがありませんでしたが、
ずっと応援している芸能人がいるという人や、推し活が趣味であるという人は主人公に大いに共感できると思います!
『推し、燃ゆ』のあらすじ
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」
高校生のあかりは、アイドル上野真幸(まさゆき)を解釈することに心血を注ぎ、学校も家族もバイトもうまくいかない毎日をなんとか生きている。
金や時間、肉体を削って推しを推す。
そんな日々を送っていたある日、推しがファンを殴ったことで炎上してしまう。
「こんなことで推し活はやめない。」
しかし本人も気付かないうちに、この日からあかりの人生が狂い始めていたのだった。
『推し、燃ゆ』の概要
本書『推し、燃ゆ』は、文庫版で全165ページからなる小説です。
私自身、ゆっくりじっくりと読んで約3時間ほどかかりました!
また物語は、会話やセリフは比較的少なく
あくまで主人公あかりの内面に焦点が当てられた一人称形式で進められていきます。
そのため、推し活を本当の意味でやっていない自分でも非常に感情移入してしまうような、非日常を味わえる作品となっています。
読む人によって感想が大きく変わりそうな『推し、燃ゆ』は、
まさに芥川賞受賞作品に相応しく文学的表現に満ち溢れた印象で、
また現代について考えさせられる描写が特徴となっています。
気になる方はぜひ手に取って読んでみてください!
『推し、燃ゆ』の朗読を務めるのはあの人!?
『推し、燃ゆ』を今すぐに読みたい方におすすめなのは
"聴く読書"サービスであるAudibleです。
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最初の一ヶ月は無料なので、この期間に読みたい本だけ読むというのもおすすめです!
現在のところ、Audibleで『推し、燃ゆ』の朗読を務めるのはなんと玉城ティナさんです。
本作『推し、燃ゆ』では、主人公の女子高生あかりの一人称視点で物語が進行します。
そんな主人公の葛藤や悩み、そして希望を見出そうと模索する姿が玉城ティナさんの声とマッチしていて、物語に没入できる作品に仕上がっています!
私自身、基本的に本は紙媒体で読む方が好きなのですが、
小説をAudibleで聴くのがとてもお気に入りで、日々の移動時間などで小説を聞くと時間があっという間に過ぎます笑
ラインナップもかなり豊富なので、"聴く読書"で日々を充実させたい人はぜひチェックしてみてください!
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『推し、燃ゆ』を実際に読んだ感想
ここからは、いくつかの観点で『推し、燃ゆ』を振り返ってみたいと思います。
ネタバレを含むので、まだ読んでない方はまとめへ!
『推し、燃ゆ』の文章表現について
まず『推し、燃ゆ』を読んでいて感じた、文章表現の特徴についてです。
管理人自身これまで様々な小説を読んできましたが、
その上でもかなり読むのに時間がかかるくらい、新鮮で独特な表現が多いという印象を受けました。
例えば、一部抜粋すると
「長いこと切っていない足の爪にかさついた疲労が引っかかる。」
「肉体は重い。水を撥ね上げる脚も、月ごとに剥がれ落ちる子宮も重い。」
「雨が空と海の境目を灰色に煙立たせていた。」
などといった表現。
こうした表現って、人によっては
という感想もあると思うんです。
実際私も、こういうパッと想像できない表現に出会うたびに
読み進める手を止めて意味を理解しようとしなければならず、最初の頃は大変と感じていました。
しかし、
そういった独特な言い回しや感情表現に出会うたびに、立ち止まって"自分の想像を働かせる"
ということをすると、不思議と訳わからなかった表現からも情景が浮かんだり、登場人物に共感できたりすることに気づきました。
これが宇佐見氏の狙ったものかどうかはさておき、
管理人個人の意見としては、それが本書の感情移入のしやすさに繋がっているように感じます。
主人公「あかり」について
主人公のあかりは物語において、
病院からある診断を受けている描写がありました。
具体的な病名こそ伏せられていましたが、それこそが彼女自身の生きづらさに直結している要素だと思います。
本書でそれが伏せられていた以上、そこに対して管理人が土足で踏み入るのは気が引けますが、
おそらくは精神的な病で、社会生活を送る上でハンディキャップになりうるものだと思います。
しっかりとメモをしたのに宿題のレポートを忘れる感じ
友達から借りた教科書をうっかり返し忘れる感じ
バイトで立て続けにオーダーを受け、忙しい店内で混乱しパニックになる感じ
「なんでみんなはできるのに私はできないのだろう」
人によって、同じような生きづらさを抱えている人は自分も含め周りに少なくないと思います。
ですが主人公のあかりは、そのせいで家族からダラシないと思われたり、
学校やバイトでも周りから馬鹿にされる日々を送っていました。
そんなとき、人はそれぞれの方法で自分を支えると思います。
本の世界に逃げ込む人であったり、スポーツに生きがいを感じる人であったり、
そしてきっとあかりにとっての自分を支える方法が、「推すこと」だったのだと思います。
"推す"とは
あかりにとっての「推し」とは何かをずっと考えて読んでいました。
自分自身はそこまで熱心な推し活をしたことが無かったので、想像をするのが大変でした。
ですが、あかりが推しについて語る場面でいくつか印象的な表現がありました。
「お互いがお互いを思う関係を推しと築きたいわけじゃない。」
「推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。」
「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。」
人の中には、推しとのリア恋を望む人もいますが、
あかりにとってはそうではなく「片想いでいい」と思える存在なのです。
それを知って私は、あかりはもしかしたら「自分のために推しているのかも」と感じました。
推す対象が誰でもいい、とまでは言いませんが、
「推し活をする自分が好き」「推しているから生きていける」
といった感情を汲み取りました。
実際、推しのことを綴ったあかりのブログはネット上で人気となっていて、
ブログがある種あかりの居場所となっていました。
だからきっと「推している自分こそが自分」「推しの存在が自分の居場所」となっているあかりは、
推しが居なくなったら"自分"が無くなると感じたのでしょう。
だからラストで推しが居なくなることが分かると、
自分から”背骨"が抜かれたように、「這いつくばることしかできない」となってしまったのだと思います。
その意味で、推しを"背骨"と喩えた作者の表現は、
「あかりにとっての推しとは何か」
という問いに対して半直接的に答えを示したものだったのだと思います。
ラストの考察 〜推しの居ないあかり〜
ラストのシーンであかりは、綿棒の入ったケースを床に投げつけばら撒く、という行動を取りました。
その真意については直接語られることがなく、想像の余地を読者に残すような形で物語は終幕しました。
その行動の裏には、直前に書かれていた
「あたしはあたしを壊そうと思った。」
という思いが隠れていると思います。
きっとあかりは、何でもいいからめちゃくちゃにしたい、と思い
衝動的にそして無意識的に近くにあった"綿棒の入ったケース"を投げたのでしょう。
しかしその後あかりは、そうして散らかった自分の部屋を眺めているうちに、
「中心ではなく部屋全体があたしの生きてきた結果だと思った。」
と思うようになりました。
これはきっと、それまでは推しのことを"背骨"と捉え、その"背骨"を自分のアイデンティティとしていましたが、
推しという名の"背骨"が無くなったことで、「自分とは一体」という部分が突如曖昧になり、
その結果、周囲のあらゆるもの全てが自分とその結果であることに初めて気づいたということだと思います。
そして綿棒を投げる前の自分は心の奥底でそれに気づいていて、
部屋(=自分とその結果)をめちゃくちゃにしたいという無意識の感情によって近くにあったモノを投げたのだと思います。
ラストの考察 〜なぜ綿棒のケースを投げたか〜
しかしよく考えてみれば、他にも汁が入ったままのどんぶりやテレビのリモコンなど色んなモノがありました。
ではなぜ無意識のあかりはあえて"綿棒のケース"を投げたのでしょうか。
本書ではその理由について、「後始末がしやすいもの」だったから、と書かれていますが、
これは言い換えれば、
無意識のあかりには、「自分をめちゃくちゃにしきれない気持ち」や「自分を大切にしたい気持ち」が少なからずあったからでは?と思いました。
物語は、推しのトラブルや家庭の問題などの悪いことが立て続けに起こり、
終始バッドエンドへと向かう様相を感じさせましたが、
最後のシーンには少しだけ希望の光というか、あかりが推しの居ない人生に向け、這いつくばりながらも顔を上げたような印象を受けました。
そしてこの"這いつくばる"という表現も、推しという"背骨”が抜かれたことの比喩として
あかりの心情と対応した描写だったのだろうと感じました。
あなたは、この物語を完全なバッドエンドとして捉えましたか?
それとも"推し活"について考えさせる文学と感じましたか?
私は、
推し活にとことんのめり込む主人公、そして推しを失った主人公の双方を描くことで、
「推し(=自分の中心)を失ってしまった人に希望を与える」
そんな物語なのではないかなと感じました。
まとめ
この記事では、宇佐見りん氏の『推し、燃ゆ』についてご紹介しました。
20歳にして芥川賞受賞という衝撃作ですが、
若き筆者だからこそ伝えられる想いや葛藤が心に刺さったと感じます。
その文学的な評価や結末の解釈などについては様々に意見が割れていますが、
ぜひ自分の視点からこの本の伝えようとしていること・"あかり"のもがき生きる姿を見つめてみてください!
当ブログでは、その他にも読まなきゃ損な名作小説を紹介しています!
気になる本や著者があれば、ぜひ併せてご覧ください!